お断りとお詫び
すでに配布いたしました「北海道聖書学院・春の特別公開講座ご案内」の紙面におきましては、 主題:「神の視点で『絆』を考えるー社会・経済・神学・国際関係ー」 と記させていただきました。
しかし、教師会と通訳者の協議により、今回ここでは、「絆」に代えてより広義な「関係」という語に訳出の変更をさせていただきました。
実際、シュリューター氏が本講義の中で頻繁に語られるでありましょう relation, relational という語をどのような日本語訳とするかは、日本における福音宣教の上で、その考察自体が大きな意義を持つものとも言えましょう。
聴講の皆様からのご意見にも期待いたします。
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「関係」
聖書が、「関係」ということについて、また今日の社会生活や個人生活にそれをどう適用するかについて教えていること。
講師のことば
私は長年にわたりいろいろな文脈の中で、「関係」というテーマについて研究していますが、ヨーロッパと日本の間の文化的相違の問題、また日本の文化的規範とその実際についてはあまりよく知らないことを自覚しています。ですから、私はこれから聖書の教えを、日本が国としてまた国民として世界の今日直面している諸課題に適応していくにあたり、どうかキリストにある兄弟姉妹皆さんの愛とご理解を頂きたく、また必要なときには訂正を賜りたく願っています。
一日目 キリスト教は「関係の宗教」である
A. 背景
「関係」は私たちの実生活で大きな部分を占めています。それは国によっても異なるかたちで取り扱われています。たとえば、アジアとヨーロッパでも大きな違いがあります。今日の新たな技術もまた「関係」の扱い方に変化をもたらしています。そこで、急速に変化するこの世界で私たちがキリスト者として影響力をもって生きるためにも、この「関係」をどう扱っていくことを神様は願っておられるのか、きちんとした聖書的理解を必要としています。
B. キリスト教は他の宗教と比べてユニークで、それは「関係」の宗教といえます。すなわち、三位一体の神、世の始まり、そしてすべての人の死んだ後の先の事についてもある見解をもっています。キリスト教は「全領域にわたる関係の理論」を提示しています。またキリスト教は具体的に、家庭、経済、政治をはじめ様々な役割や立場にある人々の中において、どのようにして健全で正しい「関係」をもたらすことが出来るかをはっきりと語っています。
C. キリスト教はまた、神と愛の「関係」を結ぶことができると語っています。見たことのない方をどうして愛することが出来るのでしょうか。「神を知っている」ということはどういうことなのでしょうか。神を知っていることで、私たちの家庭、職場、社会生活における関わり方がどう変わっていくのでしょうか。「神を知っている」ということは、私たちが試練や痛みを経験するときどのような助けとなるのでしょうか。
二日目 「関係」という視点から聖書を読む
A. 旧約聖書にみられる様々な「関係」
エデンの園では「関係」という観点において何が起きたのでしょうか。それは「堕落」でしょうか、あるいは「断絶」でしょうか。アブラハムとダビデは旧約聖書に登場する人物としてなぜ重要なのでしょうか。旧約の時代を通じてイスラエルと神との関係はどのように変化していったのでしょうか。旧約聖書で強調されている神と人間との関係の、問題の中心はどこにあったのでしょうか。神が私たち人間とどのように関わってくださっているか、また個人生活や社会生活の中で私たちが神ご自身や周囲の人たちとどのようにしてより良い関係を築くことが出来るか、そういったことを私たちが理解するために、旧約聖書の中の歴史書、預言書、知恵文学はそれぞれ異なる方法でどのように語っているでしょうか。
B. イエスの生涯と教えの中での「関係」
イエスの生涯における多くの出来事は、私たちがそれらを「関係」という観点からみるとき新しい意味をもたらします。たとえば、特に有名ないやしの出来事、イエスの働きにおける優先順位、重大な危機的状況に遭遇したときの関わり方、公の論争の場での対応の仕方など。私たちが再度、福音書を「関係」という視点から見直すとき、今日の私たちへの大切な示唆があります。
C. 書簡における「関係」という事柄
「関係」という点について何も触れてない節を新約聖書の書簡の中に見出すことはむずかしい、ほとんど不可能でしょう。私たちのキリストを通していただいている神との「関係」、私たちの様々な「関係」における聖霊の働き、教会という共同体における互いの「関係」、教会の外の人たち、また政府との「関係」。私たちは新約の書簡における「関係」についての教えを学ぶことにより、今日の教会生活のための多くの教えを見つけることが出来ます。
三日目 ビジネスとお金について
A. 聖書の規範の構造
神は、「関係性を持った社会」を創造するために、「組織」と「個」の関係をどのように意図しておられるでしょうか。この世は、ほとんどの人たちの「心がかたくな」(マタイ19章8節)という特徴をもっています。答えは聖書が示す規範――新約聖書の教えから解釈され適応されるものとして――の中に見出すことができます。それは、家庭、経済、財産、福祉、刑事裁判についての教えにまでも及ぶ、「関係性を持った社会」を構築するための包括的かつ一貫性のある洞察を提供しています。
B. 「社会の接着剤」としてのお金
聖書の律法や旧約聖書の他の部分において、イスラエルの民は、利子を課さないことを守り、また七年毎に負債を免除することが求められています。これは「ヨベルの年」の教えによってさらに強固にされています。これらの教えのねらいは何だったのでしょうか。金銭的利益を獲得するために敢えて自分の財をリスクに賭けることが、なぜ神の思いや御心に反しているのでしょうか。なぜキリスト教会は歴史の中でほぼ一貫して利子を取ることは誤りであると主張して来たのでしょうか。新約聖書のタラントのたとえでイエスはこの質問に答えているように思われます。それは、現代のキリスト者が自らの金銭の蓄えをどのように使うことが望ましいかについての基本を指し示しています。
C. 今日の経済社会において利息禁止がもたらす意味
それは、個人においても、会社、また国家レベルにおいて様々な意味があります。私たちは皆おのおのが負債から解放されるべき、というのがはっきりとした聖書の主張です。というのも「借りる者は貸す者のしもべとなる」(箴言22章7節)からです。同じ原則が会社や国家のレベルにもあてはまります。負債は会社と政府を不安定にし、経済成長と雇用創出を妨げます。資金運用の方法としては他にも考えられます。たとえば住まいを共有するというアイデアは、教会という共同体はもちろん社会全体においても「関係」を築き上げるための助けとなるでしょう。
四日目 平和の構築と防衛という課題に「関係という発想」を適応すること
A. 強固な関係を築くための構想を理解する
日本をはじめその他どの国も将来に向けての重要な課題は、強固で健全な関係を近隣諸国や貿易相手国との間に築くことです。「関係」を築くための構想はこの作業についてどのように教えているでしょうか。有益な関係を築くためにはまず、関係を遠ざける要因、関係を近づける要因をよく理解する必要があります。これらの原則は、私たちが直面しているすべての状況、国家間相互の関係にも適用できます。
B. 平和構築と防衛:関係の原則を日本の中国、韓国、北朝鮮、さらには「Islamic State(IS)」との関係に適用する
はじめに、聖書から導き出された平和構築の原則が、どのように南アフリカ、ルワンダ、南北スーダンの紛争において適応されたのかを説明します。特に重要なことは、一つの国家が他国に対してなした犯罪行為についての謝罪と赦しの表明が公になされるということです。赦しは個人レベルでも公のレベルでもなされるべきこと(マタイ6章)をイエスは私たちに教えています。その後に、日本がどのように隣国諸国との関係を最も良いかたちで構築していくことができるか、さらにはISに対してどう対応していくことが可能なのかを探っていきたいと思います。
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